カルピスの水割り(?)を入れたグラスはすっかり汗をかいてしまっている。
永島は少しくちびるを湿らせた程度で、あとは一心不乱に本を読みふけっている。
「サモアさん、それってファミレスでドリンクバー注文してのほうがよくない?」
わたしは先ほどからずっと思っていたことを永島にぶつけてみた。
今日も永島はわたしの出勤時間より早く店に到着していた。
「スナック ありす」と書かれた看板の下でけなげに開店を待つ永島は、まるで主人の帰りを待ちわびる忠犬のようである。
子犬なら思わず抱きしめてしまっているかも知れないが、幸いにも永島の巨体がわたしにそれを思いとどまらせる。
バッグに右手を入れて店の鍵を探しながら、わたしは腕時計を見る。
時刻は19時半を過ぎたばかりだ。
20時の開店には余裕を持って出勤してきたつもりだが、まさかこの時間から店が開くのを待たれているとは思わなかった。
「めっちゃ早くない?今日仕事は?」
わたしは鍵を回しながら永島に尋ねる。
「やらなあかんことだけやって、19時になったら『用事あるんで』ゆうて帰ってきました」
永島は心なしか胸を張ってわたしにこたえた。
「あぁ、そうなんや。・・って19時?サモアさんいつからここにおったん?」
後半はかなり大きな声になってしまった。
「そやから19時すぎには着いてましたよ」
永島は事も無げにこたえた。
「いや、早すぎ!」
「大丈夫ですよ」
「いやなにが大丈夫なんかもわからんし」
かなり早い客ではあるが追い返すわけにも行かず、わたしは永島を店内に招き入れた。
「いやぁ、桃さんに会える日や思うと体がうずうずしてしまいまして!」
永島はカウンターチェアに腰掛けながら元気に話し出す。
「なに?会いたすぎて震えてたん?」
「いや西野カナやないんですから!」
無駄話をしながらまだ冷たいままのおしぼりを差し出す。
「桃ちゃんもまだたぶん1時間ぐらいはけえへんと思うよ」
「大丈夫ですよ。1人でおとなしく待ってますから」
あんまり早よ来られるとわたしが迷惑やねんという言葉は懸命に飲み込んで、「あぁそうなんや」とどうでもいい返事をしておいた。
こういう猪突猛進であまり人の感情を考えないところも、そのうち桃のほうから注意してもらうことにしよう。
待ちに待った水曜日で居ても立ってもいられなくなってしまった気持ちは理解できる。
一途で真面目なところは永島の長所だけれど、その一方で気持ちが入りすぎるがゆえに周りが見えなくなってしまうところは彼の欠点でもある。
まぁでもそんなことはわたしが彼に告げることではない。
桃の言葉を聴いているうちにいつの間にやら彼も変わっていくに決まっている。
桃に関わって何人もの人たちが変化していくのを間近で見てきたし、何よりわたし自身がこの身をもって体験済みである。
今回も永島の成長をゆっくりと楽しませてもらおう。
わたしはカルピスの水割りを彼の前のコースターに置いた。
自分では確認のしようがないが、もうその時にはわたしは母のようなまなざしで永島を見ていたはずだ。